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ブラックホールの活動期捉える
木村栄揮毫 扁額を修復(水沢公園の正喜稲荷社)
奥州市水沢中上野町の水沢公園内にひっそりとたたずむ正喜(しょうき)稲荷社の扁額(へんがく)が、緯度観測所(現・国立天文台水沢VLBI観測所)初代所長の木村栄(きむら・ひさし)が揮毫(きごう)したものである可能性が高いことが分かった。きっかけは、かつて稲荷社を訪れた女子高生の記憶。稲荷社を管理する陸中一宮駒形神社の山下明宮司も長年気付かなかったといい、外気にさらされくすんだ色になっていた扁額を修復した。3月2日から奥州宇宙遊学館で開催する特別企画展「木村栄の書展」(胆江日日新聞社など主催)で、急きょ展示することが決まった。
稲荷社は同公園北側、ブランコなどの遊具がある場所に近い斜面にある。山下宮司によると「五穀豊穣(ほうじょう)、商売繁盛の神様」というが、詳細は不明な点も多い。
駒形神社が現在地に遷座する前、この地にあった「塩釜大神社」は、現在の駒形神社よりも境内が広かった。やがてその一部が水沢公園として市(当時は水沢町)の所有地になったものの、境内社だった稲荷社の土地は市内在住者の私有地として引き継ぐことに。実際の管理は駒形神社に託されている。
小さな社殿の正面に掲げられていたのが、木村揮毫と思われる扁額。木村の書跡に沿う形で木版を掘り、緑色で社名などが塗られていた。縁の装飾部分は金色となっていたようだが、外気に長年さらされていたため、ほとんどくすんでしまっていた。
木村の書であることが分かったのは、本紙が取材した県立不来方高校2年の千葉安里さん(17)=水沢真城=の記憶がきっかけ。昨年12月、新春企画のインタビューの中で千葉さんから「水沢公園の小さな神社に『木村栄』って書いてありましたよ」との証言を受け、現地を調べたのが始まりだった。山下宮司も「扁額があるのは知っていたが、それが木村博士の書だとは全く気付かなかった」と言う。
この発見とほぼ同時期に、老朽化で倒壊していた稲荷社の鳥居を修繕し奉納したいという申し出が個人からあり、鳥居の工事に合わせ、稲荷社周辺の環境整備や扁額の修復も行うことに。さらに3月9日の竣工(しゅんこう)式の前日まで、「木村栄の書展」会場で特別に展示する運びとなった。
扁額の修復は、水沢佐倉河の書家・松本啓夫巳(ひろふみ)さん(46)=雅号・錦龍=さんが対応。「作業をしながら木村博士の息づかいが感じられた。書をたしなんでいる様子の写真も見させてもらったが、向き合っている紙の大きさに対し、非常に大きな筆を手にしている。よほどの腕の持ち主でなければできないこと」と評価する。
書展には、駒形神社斎館に掲示している「敬神護国」の書も展示する。山下宮司は「若い千葉さんが稲荷社の扁額の細かいところまで注意深く見て、木村博士の名前も含めてしっかり覚えていたこと自体すごい。木村博士が『俺のことを忘れないでくれよ』と言っているかのようだ。北陸・金沢出身の木村博士が、水沢のためにいろいろ尽くしてくれたことを感じる。もっと光を当てるきっかけになれば」と話していた。
(児玉直人)